第3回愛総会防衛日記
〜プロローグ〜 7年程前。とある友人宅でやったゲームに私は魅了された。よくわからないまま金髪の女に蹴りを連打させていた。黒人はそれはもうリアルにその蹴りを喰らってダウンしていた。そのゲームの名はバーチャファイターと言った。1994年のクリスマス前の事だった。 その後、私がサターンとバーチャのソフトを買ったと同時期に、町のゲーセンではバーチャ2が世を騒がせていた。初めて見たときは、ラウのPPP←Kが連続コンボでなくなってて驚いた。近所ではとあるスーパーの屋上にある小さいゲーセンにしか置いてなく、私はよくそこに通い、少ない対戦相手と毎日しのぎを削っていた。この頃が一番充実していたかもしれない。いつの間にか私のマイキャラは、マヌケ忍者・カゲになっていた。 やがてサターンへで発売されたころ、近くのゲームショップでささやかな大会が行われた。求められたのはリングネームというもの。強い者しかリングネームは名乗ってはいけない。そんなイメージを持っていた私は、とてもおこがましくてそんなもの名乗れやしなかった。だがそれがなくては出場できぬ。一晩考えた末に出た名前は「天才カゲ」であった。当日、名前を刻んだ紙を持って受付へ。だが寸前で見えない力に引っ張られる私。これでいいのか。大体誰が天才なんだ。それにこんな名前のやつ、多分仰山おるわ。自分への戒めも兼ねて私が書き直した名前は「AHOカゲ」であった。だが日本は広い。こんな名前の奴も居るかもしれない。気がつくと私は、単語の後ろに横長い棒を引いていた。舞鶴市最強のカゲ使い(自称)AHOカゲーの誕生であった。ちなみにその大会の結果は、カゲの部優勝。総合4位。 1996年秋。バーチャ3のロケテストが始まった。それとはまったく関係なく、9月のとある日、私の通う高校では体育祭が行われていた。鉢巻を締めてトラックをかける同級生達。声援を送る生徒や父兄達。だが私はその頃、大阪へと向かう電車の中で、カゲのコマンド表を確認していた。受験が何打。高校最後の体育祭が何打。俺にはバーチャ3のロケテのほうが大切なんじゃ。ちなみに翌年の3月、私は受験校すべての不合格通知に囲まれることとなる。 大阪で貴重な体験を糧とし、私は98年の春くらいまで突っ走った。とにかくバーチャ、バーチャ、寝ても覚めても糞してもバーチャ。流石に受験前には控えたが、浪人中にもかかわらず、京都大阪兵庫をバーチャをしながら渡り歩いた。バーチャの対戦相手を求めて知らぬ地まで行ったりした。アホじゃ。その中でも97年8月31日に、京都のゲーセンa-choで行われた、キャサ夫(鉄人と呼ばれる強い人)の150人組み手は圧巻だった。同じカゲ使いとして本気であこがれていた彼との対戦は、ある意味私の中でのバーチャ人生の絶頂であった。 そして月日は流れ・・・ 2000末、セガがバーチャの新作「バーチャX(後にバーチャ4に改名)」を発表した。だが私にリアクションは無かった。成人を過ぎた私の中からは、すでにバーチャ熱は残されてはいなかったのだ。新キャラの少林寺ハゲなどを見るたびに思った。俺にあの情熱は戻ってくるのか。俺の右手は再びレバーを自在に動かしてくれるのか。俺と影丸のシンクロ率はどうなってしまったのか・・・。愛黄門からバーチャ4のロケテがはじまるとの知らせを受けた頃には、新世紀初めての夏が訪れていた。
2001年7/10日。 腰痛に苦しむ体に鞭を打って、灼熱の太陽の下、私はペダルを漕いでいた。南へ。朋友の待つ心斎橋へ。先日行った他愛も無い愛黄門とのチャットで、7月10日から大阪心斎橋にあるGIGOなるゲーセンにてバーチャ4のロケテストが始まる事を知った。次の瞬間、脳が働く前に「逝く」とキーを打っていた。そしてロケテストの前日、カサンドラチャットで鉢合わせた愛忍者や愛非道も、心斎橋へ来ないかと誘ってみたところ、結構二人ともノリノリで来ることになった。作戦をまったく練らぬまま、第三回愛総会の開催が決定してしまったのである。大いなる期待、そして多少の後悔を感じながら、私はペダルを漕ぎ続けていた。そして、やっぱり電車で逝った方がよかったなという新たな後悔も生まれ始めていた。 愛黄門は、私がネット界で出会った始めてバーチャを語れる朋友である。いずれ戦う日が来るだろうとは思っていた。二人とも初プレイのゲーム故に大したバトルにもならぬだろうが、まあ少なくともヌメレンジャーバーチャ最強決定戦には違いない。そんな大事な戦いの前に、なんの予習もせずに闘いの場へ向かわんとしている私がいる。5年前の私が知ったら激怒するであろう。だがもういいのだ。私ももう22歳。そうそうゲーム雑誌を立ち読みしている時間も無い。人はいつか大人になるのだ。感情を無くした大人に・・・。しかしいまだ親のスネをかじっている私が言うこっちゃないなと妄想中断。 ある程度来たところで道がわからなくなった。何処打ここは。何打これは。道頓堀か。トオリスギテルジャーン!慌てて戻るが、入り組んだ道を来てしまったため、もはや私に東西南北の判別はつかない。ヌメリシーバーがなる。「ハヤクキヤガレ」。愛黄門の催促。一番待ち合わせ場所に近いところにすむ私が汗だくで迷う屈辱。判るまい。 リーマンに道を尋ねてやっとこGIGOに到着。思えばバーチャ3のロケテストを見に行ったのも此処だった。不思議な縁である。5年前、朝5時に起きて大阪行きの電車に乗った私が、まさか5年後にこのGIGOまでチャリンコで来れるような場所に住むことになろうとは思わなかったろう。そういえば5年前も駅を降りてから迷っていた。成長の見られぬ自分に肩を落としつつ店内へ。 ギーゴは通算4度目。店内の構造は理解している。早速5年前にロケテストを行っていた場所へと赴くが、何も無い。当時は一階のUFOキャッチャーの前にあるでかいモニターで行われていたのだが、何も無いのだ。そういえば2階でもやってたなと思い出し、足早に向かうが、そこにも無い。散々エスカレーターを上下したところで、ロケテは1.2階で起きてるんじゃない。4階で起きてるんだ!ということを知った。っていうかGIGOが4階まであったことを初めて知った。首をひねりながら階段を上る儂。心配するな。お前がわかってねえんだよ愛参謀。 ヌメリシーバーで受けた情報どおり、思っていたほどの人数はいなかった。当然平日の2時くらいから暇をしている人が早々いても日本が危ないのだが、バーチャシリーズのロケテストの初日となれば、予定なんかすっ飛ばしてくるのが今までの常識であった。そう、高校時代の私のように。だが実際にいたのは10人前後。すぐにプレイできる嬉しさと、バーチャがさびれてしまったという寂しさの中、私は愛戦士二人との対面を果たしたのであった。
2人は、バーチャを待つ人々の列に並んでいた。先に心斎橋へと到着していた愛黄門と愛非道は、アメリカ村にて一足先に合流し、私の到着を待っていたのである。愛黄門は海北奥陸に会いに行ったときと同じ格好をしていたのですぐにわかった。隣にいるのが愛非道だろう、と勝手に解釈して接近。モヒカンちゃいますやん。やはり第一声はそんなだった。愛忍者に会う者が皆「イメージと違う」とつぶやくように、これも定番化していくのだろうか。適当に会話を交わした後、私も列の後ろに加わった。正直言ってここまでくれば、愛戦士がどうとかよりもはや俺の目にはセガしか映らぬ状態になっていたのである。先に並んでいた愛黄門がプレイを開始。情報どおりジェフリーを使っている。いきなり開幕に下段投げを決めた。相手が立ったと同時に今度はトーキックスプラッシュ!なんてヤロウ打!こんなに強かったのか!!しかしその後簡単に2セット落とし、敗北していた。流石造作神。魅せてすぐ死ぬ精神は、造作サイトの特色に違いなかった。 ふと視線を左にやると、新キャラの少林寺小坊主を使う愛非道がいた。あれ?愛非道ってバーチャできたのか?よくよく見てみると立ちPを連発しているだけ。一目で素人とわかる。おそらく対戦者もすぐに感づいていただろう。そこそこやりこんだものならそれなりの戦いを演出してから倒すものなのだが、なんといってもこれはロケテ。皆そんなに操作方法を熟知しているわけでもない。気を抜けばヘボい技の連発だけで負けることもある。機械的に技を避けて反撃をしている対戦者の苦悩が読み取れた。そして、わけわからぬままバーチャをしている愛非道の混乱具合も読み取れた。
(私のバーチャ戦跡は省略) 一呼吸おいて愛黄門のバトルを傍観していると、ヌメリシーバーに愛忍者からの通信が入った。あと1.3km程で心斎橋だという。その細かい数字は何処から出てきたのだろうという疑問をもちながら、私は自分達のいるゲーセンの位置を知らせた。「駅から北」確かに私はそういった。
結局5回ほどプレイして、私は下の階へと降りた。この辺りすでに私のバーチャに乾いた心の内が読み取れる。クイズに答えて犬っぽい生き物を育てたり、モヒカンを操って女子高生にスクリューパイルを決めてみたり、マージャンでアニメアニメした女子の衣服を脱がしたりていると、再び通信が。どうやら愛忍者は、目的のゲーセンを見つけられずに彷徨っているらしい。我が指示通りに歩けば見つからぬ筈は無いのに、これは一体どうしたことか。数分後にこちらから通信を入れてもまだ駄目だと言うことで、私はこちらから動くことにした。元ヌメレンジャー隊長である私が行うような仕事ではないが仕方が無い。少し歩いて道頓堀へ。ここなら誰でもわかるだろう。再び通信を入れてその旨を伝えたが、そのときの愛忍者の対応が少しおかしかった。 あふさかの象徴とも言える汚い川を見下ろしていると、なにやらテレビのロケみたいなものが始まった。流石道頓堀の引っ掛け橋。大阪駅前に劣らぬTVロケの聖地よ。白タイツに覆われた名も知らぬ芸人達が、長い棒の先につけられたサッカーボールに飛びついている。なんだこりゃ、と思っていると、その場にスタスタ近づくオッサンが一人。よく見ると和泉修だった。芸能人とはいえ、京都駅で見かけたTKOとか、新幹線で見かけたラッシャー板前と同じく、私にまったく動揺は無い。マイナー白タイツ芸人と二言三言言葉を交わした和泉は、スタスタと横道に消えていった。誰もその去り行く和泉の姿を目で追っていない。気づいていたのも私だけなのだろうか。とにかく和泉修はもっと芸能人としてのオーラを身に付けるべきだと思った。あとグラサンが似合っていなかった。 予想していた時間より遥かに遅れて愛忍者が来た。今回は和服というか浴衣みたいな服を装備。一体何があったのかと事情を聞く私。話を聞いて10秒で私はすべての顛末を悟った。早い話が私の教えた方角が、完全に180度逆だったのである。GIGOは駅の南だったのである。私の指示によって、愛忍者はあらぬ方向へと歩を進め、心斎橋筋の北の端まで行ってしまっていたのだ。青ざめる私。なんということをしてしまったのか。私の不注意によって一人の人間の体力と時間を著しく奪ってしまった。すべては私が悪い。よくよく考えれば、私だってあのゲーセンにいくのにかなり迷っていた。迷った挙句辿り着いた私が、自信満々に道案内をすることが間違っている。誰かに聞いて完全な答えを導き出すのが常識だ。人に物を教えるとはそういうことである。私がやったのは、誤った教育。体罰やセクハラとなんら変わりない非人道的な行為である。ヌメレンジャーとしてはあるまじき行為だ。死んで詫びを入れねばなるまい。そう思って頭からドブ川に身を投げかけたが、せめて最後くらいはちゃんと道案内をして、その後愛忍者に償いをしてから死のうと考えた。 GIGOにて愛忍者と造作リアン二人の御対面。「イメージと違う」愛忍者もお決まりの台詞をぶつけられた後、今後どうするかとの話し合いが行われ、少し早いが飯を取ることになった。午後5時を少し回った位であった。私にとって最後の食事だ。 五感を頼りに食事所を探す一行。時折寿司屋の前を通過したが、ヌメレンジャーは寿司を食ってはならぬという掟があるので、入るわけにはいかない。私は厳粛に皆の希望を断って先へと進んだ。決して寿司が食えぬとか22歳にもなってワサビが苦手とかそういうことではない。 やがて手頃な中華料理屋を発見。王将よりはよかろうと皆意見を一致させ、入店。メニューを開く。・・・高い。いや、ラーメン600円とかいう値段はまあ平均的といえば平均的なのだが、やけに1000円を超える惣菜が多い。下手な注文の仕方をすれば、高校生の愛非道などは帰れるかどうかも心配だ。故にさほど無茶にいろいろ頼むことも出来ず、各自食べる分だけ適当に頼むというただの飯にすることになった。 メニューに目を泳がせていると、数々のラインナップの一番最後におかしなものが記載されていた。 「愛玉ゼリー」 愛玉の学名はFicus awkeotsang Makinoといい、台湾の山林に自生している国際的にも有名な台湾独特の作物のことである。乾燥させた愛玉の種子を水の中で揉むと、黄色い透明な愛玉ゼリーとなる。低カロリーで貴重な天然健康食品であり、特に夏にはそのさっぱりとした味わいが喉の渇きを癒すので、食後のデザートに最適。人工色素や化学添加物を一切含んでいない森の天然食品なのである。なお、この説明は後日調べたものなので、当日の私が知る由も無い。 愛玉という響きからヌメリしか想像しなかった我々4人は、迷うことなくそれを注文。というか私が無理やり一人一つずつ注文した。値段は200円。この店で一番安い一品であった。流石ヌメレンジャーの食べ物。財布にもやさしい。
頼む前に、私は愛忍者の食事代をもとこちを約束した。理由は3つ。もちろん本日無駄に歩かせてしまったという謝礼と、一年半前の第一回総会で奢って貰った借りをまだ返していないこと、そして翌日誕生日を迎える愛忍者へのささやかな祝いの気持ちであった。3つを足せば飯3回分くらいになるが、まあ気にしないことにした。 程なく全員の注文品が到着。私は唯一皆で食べてもらえるようにと餃子を注文していたのだが、もう一つ、誰のものともわからない肉団子があった。愛忍者の前に置いてあったのでてっきり彼のものだと思っていたのだが、どうやらそれは愛黄門が頼んだものだったらしい。私の餃子と同じく、皆に食べてもらうよう彼が注文した一品だったのだ。しかも私の餃子300円に対して、肉団子900円。なんとも太っ腹なことよ。私もありがたく摘まませてもらうことにした。が、チャーハンとラーメンと餃子を掻きこんでいた私の腹は限界を迎えようとしている。とても無理だ。皆さん遠慮なさらずにどうぞという視線を送るが、皆一様に自分のラウメンに集中している。これは困った。私も震える手で肉団子を口へと運ぶが、かぐわしいピーマンの香りが食欲を奪っていく。あふん。愛非道に至っては、ラーメンをスープまで飲んでいるのに肉団子には手をつけぬというまさに非道な行為を実行する始末。食え!と命令すると、鬼の眼光でにらみ返された。 ラーメンのネギをひとつひとつ取り除くというメルヘンチックな事をしていた愛黄門がなんとかほとんど食べてくれたことで、肉団子終了。いよいよメインである愛玉ゼリーの御到着となった。だが同時に愛忍者の前には、美味しそうな杏仁豆腐も御到着。かわいいデザートを2つ目の前にした僧侶の顔は少しはにかんでいた。
まあ食えるな、と無難な感想を述べつつ愛玉を間食した我々は、いよいよヌメリ総会議を開始。当日の議題に上ったのは、陸奥視察についての報告、陸奥グッズ製作に使われる国家予算、陸奥ムービーの開発に反対する地元住民との対立、蘭山紅拳の諸説についての真否、ワンチャイに関する光と闇、コ○プリの必要性と他サイトへの密入国対策諸々・・・。某総理に劣らぬ程に短時間で濃密な会談を行った我々は、すでに店のあちこちから怪訝な視線を受けていることを悟り始めていた。 最後に私だけ再度愛玉ゼリーを食し、退散。食う前に決めたとおり、私が愛忍者の分まで払うことになったが、そのお値段約2000円以上。私のと合わせると4000円を大きく超える。愛玉御代わりが響いていた。ぜんぜん財布にやさしくなかった。
店を出て一路心斎橋駅へと向かった我々は、駅前で解散宣言。最後に本日のレポートを誰が書くかというジャンケンを行い、見事私が敗北した。あれだけの出費では罪を償ったことにはならぬというのか神よ。来た道を戻り、15分かけて止めたチャリンコを発見した私は、破裂しそうな膀胱をおさえつつ帰宅。その後買ってきたバンチを読み、緊急病棟24時を見、ウソコイを見、すぽるとを見、カサチャで本日の仕上げチャットをし、寝た。布団の中で責任を取って死ぬ覚悟をしていたことを思い出したが、2000円払ったから死ななくてもいいよね、と思った。おわり。
ちなみにプロローグとエピローグは一切関連性はありません。あとエピローグはありません |